イキナリナカツガワ Vol.3「永遠のゼロ」
- 2019/05/31
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実践トコログイキナリナカツガワ
せ~の~ひょっこり~!
中津川でございますよ。ヤーヤーヤー。
私は数字が大の苦手です。
これまでのメルマガでも、この点に触れてきましたので、
えぇ、そうみたいですね。
とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
今回は数字VSナカツガワの壮絶な戦闘の歴史についてお話ししたいと思います。
時を遡る事ウン十年!
浅井先生のマイマイプラ(マイナス×マイナス=プラス)の呪文に押されつつ、
高校生になったナカツガワ。
ここでもやはり「ゼロ」の存在に納得がいきません。
授業を聞いていても、ナゼ?ナゼ??ナゼ??
まん丸お顔が可愛らしかった数I担当の先生にも何度も質問しました。
が、どうにもこうにも納得がいきません。
時にはテストの解答用紙に、こんなことを書いてみたりもしました。
『・・・と言う訳で、そもそもこの数式を使う事に何の意味があるのか分かりません。
数Ⅰの勉強は人生のどの部分に活かされるのでしょうか?私は・・・』
この私のつぶやきに対し、先生は大きな赤色のバツ印で応えてくれました。
自分の人生に大きな×を付けられた気分。
もうしょんぼりですよ。
ホント「ゼロ」ってなんなのよ。
という事ですよ、皆さん!!!
1+1=2
解りますよ。1個あるところにもう1個加わったから、「2」ですよね。
1+0=1
こちらも解りますよ。1個あるところに0個を加える。つまり「何も加えない」から「1」のまま。
問題はココからです。
1×0=0
なんとっ!なんでっ!!どうしてっ!!!何故に~~~~~~~~~っ!!!!!
なぜ0を乗じたら、0なんだよー。
もともとあったビスケット1個は何処へ行ったんだよ~。
(例えがビスケットだったのか、、、)
1個はあったはずでしょー。
食べてないよー。
捨ててないよー。
何処へ消えちまったんだよー!!!
そもそも物質的に「ゼロ」な状態ってどんなのよ!!!
今そこにあったビスケットが消えちゃうとか、え?何?マジック!??
「マイナス」、、、もよく解らないけど、まぁ、、、、穴ぼこ、、、みたいなもの?って思えば、
イメージできなくもないわけですよ。
だのに~。
なぜ~。
ですよ!
「ゼロ」よ!
この「ゼロ問題」。
これまで沢山の方が、この数字に疎いナカツガワを不憫に思い、
どうにか理解させようと、チャレンジしてくれました。
がっ。
がががっ。
一向に理解しない私に対して、最後は皆さんこう言って去っていくのです。
「そういうルールだからさ」
なんだよ~それ~。
解決になってないんですけど~。
そもそも、説明できないルールに、なぜみんな従っているのさ~。
これって例えば、「一旦停止」と書かれた道路で、
なんで止まらなきゃいけないのか分からないけど、
「そういうルールだから」止まってるのと同じよね?
そう思う訳ですよ。
でも、この場合、本当はちゃんと解説ができますよね。
『ここは十字路なのに信号機がありません。
だから一旦止まって、他方から車や人が出てこないか確認する必要があるからです』
とかさ。
そうすれば、あぁなるほどね。止まらないとね。一旦停止しましょうね。
と納得する訳です。
そして交通ルールが守られ、事故も防げるというものです。
それを、「ルールだからさ」だけで済まそうとしたらどうでしょう?
そんなルール知った事か!と、暴走する車が出てしまったら、
あれよあれよと事故が重なるかもしれませんよね。
だからちゃんと「理解する」事って大事なわけよ。と思う訳です。
仕事だって、「理解して」取り組むのと、
「言われた通りだた動くだけ」では、大きな差がありますよね。
と、ここまで言うと、ゼロチャレンジャーの全員が全員。
「もういいよ、、、」
と呆れたような、困ったような、悲しいような顔をして去っていくのです。
そんなある日、子供のころから私のヘリクツに付き合い続けてきた母がこう言いました。
「あんた、それはもう『哲学』の範疇だよ」と。
哲学!なるほど、そうかもしれません。
「我思う、故に我在り」
ですよね。デカルトさん!
答えは出ないかもしれないけれど、考え続ける事が大切で、
「考えている」限り、
今、ここに自分自身が存在している事も確かなのです。
奥深いぜ、哲学!
そんな訳で、ゼロとの闘いは、この先もずっと続くことでしょう。
「人間は考える葦である」byパスカル
考え続けてこそ、我が人生!と思う事にしております!